【天才の35年間の軌跡】ジャコ・パストリアスの情報まとめ




今回はベーシストとしてトップに上り詰め、数多くのミュージシャンに影響を与え続けるJaco Pastorius(ジャコ・パストリアス)の特集です!





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プロフィール

本名:John Francis Anthony Pastorius III
生年月日:1951年12月1日
出身:アメリカ合衆国 ペンシルベニア州ノリスタウン

「Jaco」という名前はニックネームで、アメリカ野球選手Jocko Conlan(ジョッコ・コンラン)の「Jocko」という表記をフランス風にアレンジして付けられたようです。


ジャコ・パストリアスの音楽のスタートは、教会の聖歌隊からでした。その後、ドラムに興味をもち地元のドラマーとして活動を始めます。バンドの一員として活動していたこともありました。

しかし、13歳の時にフットボールの試合中、左手首を骨折してしました。ドラムを続けることが難しくなったため、また時期を同じくしてバンドのベーシストが脱退したのを機にベーシストへ転向しました。

その後、驚異的なスピードでテクニックを上達させ、17歳のときにはフロリダ州でナンバー・ワンと呼ばれるほどの腕前になります。全世界のベーシストたちを驚嘆させたデビュー・アルバム『Jaco Pastorius(ジャコ・パストリアスの肖像)』の収録曲『Continuum』の原型はこの頃すでに出来ていたと言われています。


20代前半になると、音楽仲間であったPat Metheny(パット・メセニー)のアルバム「Bright Size Life」の制作にベーシストとして参加します。

そして、23・24歳のとき、ジャズドラマーのBobby Colomby(ボビー・コロンビー)の目に留まります。ジャコのプロデュースを決意したコロンビーは自身のジャズ・ロックバンドBlood, Sweat & Tearsにジャコをベーシストとして招き入れ、演奏活動とアルバム制作を並行して進めることになります。

デビュー・アルバム『Jaco Pastorius(ジャコ・パストリアスの肖像)』の発表はジャコが25歳のときでした。


その後、バンドメンバーとして・ベーシストとして活動していた時期がありました。30歳のころになると、ワーナー・ブラザース・レコードと契約を行いソロ活動を開始します。セカンド・ソロ・アルバム『Word of Mouth』はこの時期に発表されました。


この頃にはすでにドラッグの服用とアルコールの摂取が進んでいたようです。これより晩年にかけて、心身を蝕まれ荒んだ生活を送ることになります。精神疾患を患い、病院生活と路上生活を繰り返す時期もありました。

35歳のとき、泥酔状態でクラブに入店しようとしたところ、店のガードマンと乱闘になりました。乱闘の末、コンクリートに頭部を打ち致命傷を負います。これがきっかけでジャコの一生は閉じることになります。



ジャコ・パストリアスの評価

ジャコ・パストリアスは後世に残る功績を残しています。

高度な技術や巧みな音楽を披露し、数多くのミュージシャンに影響を与えました。また、当時、ジャズではアップライトベース(コントラバス、ウッドベースとも)が主流でしたが、エレキベースがジャズスタイルで取り入れられていったのはジャコの功績のひとつだと言われています。

ジャズ方面での活躍が目立ち、一般的にはジャズプレイヤーとされているジャコですが、ジャコ自身は「ジャズプレイヤーでなくミュージシャンである」と語ったそうです。



ジャコ・パストリアスの音楽の特徴

ここでいくつかジャコの楽曲やベースの弾き方の特徴を紹介しましょう!

歌のような旋律

シンガーのFrank Sinatra(フランク・シナトラ)の歌をベースでコピーしていたというジャコ。彼の歌うようなベースの旋律はこの経験が生きているのではと考えられています。フランク・シナトラはクルーナー(囁くように歌う)の名手で柔らかい歌声が特徴的ですが、ジャコのベースにもその柔らかい音色が宿っているように思えます。

それもあってかフレットレスのベース(フレットがないベース)を使用していました。音程移行やピットの高低がスムーズなフレットレスのベースは歌のように演奏するにはもってこいの楽器です。



運指的に難しいフレーズ

シンガーのFrank Sinatra(フランク・シナトラ)しかり数々のミュージシャンから(それもベーシスト以外からも積極的に)影響を受けたというジャコ。

知られているところだと、
ジャズサックスのCharlie Parker(チャーリー・パーカー)
・ギタリストのJimi Hendrix(ジミ・ヘンドリックス)
・ロックバンドのThe Beatles(ビートルズ)
・作曲家のBach(バッハ)
などです。

各方面から影響を受けたジャコが作る楽曲には、ベースの技術的なアプローチからは思いつかないフレーズが多数存在します。簡単に言うと、ベースでは運指的に弾きにくいフレーズのことです。


ちなみに、デビューアルバムにはチャーリー・パーカーの『Dona Lee』のカバーが収録されているほどです。




上質な心地よいグルーブ

早弾きや目まぐるしい旋律を演奏する点も支持されているジャコですが、実はそれを裏で支えているのが独特のリズム感とグルーブ感です。

細かく言えば、音価(音の長さやキレ)や実音とゴーストノート(音を出さずリズムを発する技術)の使い分け、演奏中キープされるビート感など言及できる要素は沢山あるのですが、簡単に言えば、沢山音を鳴らしていても心地よく感じさせる上質なグルーブ感を持っているということです。

ただ、早弾きするだけならジャコでなくても演奏可能なベーシストはいるでしょうが、それを音楽として聴かせるレベルになるというのがジャコの境地なのでしょう。



驚異的なハーモニクス

かつてはベースでハーモニクスを演奏中に取り入れることは主流ではありませんでした。むしろハーモニクスを演奏するベーシストはいなかったのかもしれません。

ジャコはハーモニクスを積極的に取り入れてたプレイヤーでした。ハーモニクスはフレット(押弦する板に打ち込まれた金属)の特定の位置を触れることでオクターブの音が鳴るという演奏技術です。ただ鳴らすだけであればだれでも出来ますが、綺麗な音それも音楽的な音を奏でるのはなかなか難しいです。

しかし、ジャコは楽曲中ハーモニクスを多用していました。フレットレスベースの場合、ハーモニクスの指標となるフレットがないものですから、技術的難易度はさらに高くなります。ジャコの演奏技術の高さはこういった面からもうかがえます。



エピソード・逸話

数多くの逸話や興味深いエピソードが残るジャコ・パストリアスですが、その中からいくつピックアップして紹介しましょう!



ベースは独学

ベースは本を用いて独学で習得していったそうです。中でもチェロやヴァイオリンの教材はためになったと語っています。その中でもチェロの教則本「ドッツァウアーの113」がとても良かったと評価しています。



頭の中で演奏(練習)

練習にとてもよく励んでいたというジャコ。手元に楽器のない状態例えば移動中なんかでも頭の中でベースを想像して練習をしていたようです。

弾いている姿を俯瞰してみるような想像ではなく、実際にベースの弦に指が触れて弾いているような感覚でもって練習していたようです。

ソロアルバム制作時は1テイク録りだったそうですが、その裏にはこうした練習の積み重ねがあったようですね。



メロディー中心

演奏の際は常にメロディーのことを考えていたそうです。どんなに斬新な試みをする際も曲のメロディーを基本に置き、メロディーが基本だと考えていたようです。演奏中は頭でメロディーを歌いながら演奏していると語っていたようです。

個人的にはこれもシンガーのFrank Sinatra(フランク・シナトラ)の影響かなと思います。



革新的なことを追い求めて

みんなが試すのを恐れてしまうような革新的なことがやりたいと語っていたジャコ。

スタジオに入る際などは、譜面は用意するもののフレッシュでいるために楽譜に頼り過ぎないよう、練習みたくならないようにしていたそうです。

あと、ステージ上での独特な演出もこうした想いの表れだったのかもしれません。ベースソロをひとしき弾いいた後、ハーモニクスの残響の中ステージを降り、再度戻ってきてはベースの音量を上げ下げして観客を盛り上げたという話が残っています。



さいごに

ジャコ・パストリアスはトップミュージシャンとしての重責がのしかかり晩年は精神を病んでしまったといわれています。奇行の数々も記録に残っているようですが、今回の記事はジャコを色物として取り扱いたくなかったため文章には起こしませんでした。

若くして亡くなってしまった才能とその功績を後世に残していければなとただ願っています。






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